先日、情報収集ツール調査でツイッターが全世代でトップだったという調査結果があったが、Twitterはそろそろキャズムを超えたと言っていいのかもしれない。
私はIT系の人とばかり絡んでいるので肌感覚として実感を得るのは難しいが、ユーザー層を広げ続けている状況であることは確かだと思う。
さて、Twitterは「140文字内でいま考えていることを投稿するだけ」というシンプルなツールだが、Twitterがどのような変化をもたらしたのか今日はそのことについて考えてみたい。
頭にあった言葉の明文化
まずこの140文字という制約が大きな変化を生みだしている。
誰だって、いろいろなことを考えながら日々生活しているが、頭の中に思い浮かべてもそれをアウトプットする機会はなかなか無かった。
その決して言葉にされなかった発想は、もしかしたら多くの共感を得られるかもしれないし、かつてないアイデアに結びつくようなものかもしれない。
いままでもブログやmixiに書き綴るという手段があったが、それなりに時間も必要で記事や日記を書くという行為の敷居は高い。
しかし、Twitterは気軽さでその敷居を極端に下げ、いままで誰かの頭の中にだけにしかなかった多くの言葉を明文化した。
これはとても大きな変化で、様々な影響を生み出している。
際立つ個の姿、そして広がる世界
インターネットは物理や時間的な壁を越えて多くの人と人をつなぐことを可能にしたが、あまりにも大きく膨大な情報の中で、同じ関心を持つ人と人が接点を持つことは難しい側面があった。
しかし、Twitterのタイムラインに流れる発言はすべて「人」に紐づいており、その人のプロフィール、過去の発言、フォロワーの数などをすぐに知ることができる為、人にたどり着きやすい性質がある。
これが、1つの発言をきっかけに、その人に興味を持ち「フォロー」にいたる流れを与えてくれる。
「そんなのSNSも同じだ」という意見があるかもしれないが、日本で普及しているSNSは閉じられた空間の中でのコミュニケーションという印象が強く、外向きではなく内向きなコミュニケーションの利用にとどまる人が多かった。
それに比べてTwitterは「フォローはご自由に」というゆるい文化があり、気になった人にわざわざ許可を得なくてもフォローすることができ、その人に宛てたメッセージだって気軽に送れてしまうという気軽さがある。そして、すべての発言がインターネット上でオープンに公開されていることが心理的に大きな差を生み出している。
Twitterは個人の姿を明確にし、コミュニケーションの敷居を下げた。それが人と人との関係性を広げる役割を担っている。
何かを発信することの素晴らしさに気づかせた
Twitterは発言も気軽で、リアクションも気軽にできる性質を持っている。
自分のたわいもない発言に誰かが反応してくれたり、思いもよらない反響を呼ぶこともあれば、自分が解らないことを発言したら瞬時に解答を得られるようなこともある。
それが発信することの楽しさや、発信することで広がる可能性をユーザーに気づかせたかもしれない。無から有になる楽しさ、これを大いに与えてくれる。
Twitterを軸として自分の考えを発信する人が本当に増えていると感じる。
これからは個が結びついていく時代へ
Twitterは人々の考えを具現化し、コミュニケーションを豊かにし、人と人とを結びつけている。共感が共感を呼び、そこだけの価値観を生み出している。
これからの時代は、自分の価値観を追求して、個々がつながっていくことが大切になる時代だと思う。そんな中でTwitterは重要な役割を占めていく。
Twitterをやっていると本当に実感する。「大きく振り下ろされた価値観を尊重する時代ではない。これからは個々が価値観を生み出し、正直に生きていく時代だ」と。