1月10日の日本経済新聞にシンクタンク・ソフィアバンク副代表の藤沢久美さんのインタビューが掲載されていたのだが、とても考えさせられものだったので紹介したい。
この視点は、異なる世代で起こる考え方の食い違いの原因を考えるヒントになるのではないかと思う。
このインタビューは「C世代 駆ける」という連載コラムの中の1つだ。特に印象的だったのはこの質問に対する回答だった。
「人とのつながり(Connected)や、コミュニティー(Community)を重視するC世代は、上の世代とどこが異なり、どこが共通しますか?」
若い人はその時代に足りないものに対してハングリー。今の経営者や管理職の人は若い時、お金やモノに対してハングリーだった。今の若者は共感や社会を良くしたいとの思いに対してハングリーだ。上の世代が「若者に元気がない」と感じるのは、自分たちがかつて渇望したものを今の若者が求めないからだ。
とても納得感のある回答だ。人は本能的に足りないものを求める、そして補おうとする。そう考えてみれば、時代背景が異なる世代間では、渇望するものも違って当然である。渇望するものが違うということは、熱を向ける方向も違うということだ。
年配者が若者にアドバイスする際には自分の経験に照らし合わせて行うと思うが、そもそも見ているものが違うという視点を忘れてはならないだろう。藤沢さんはさらに続ける。
社会的な課題をビジネスで解決する社会的起業に関心を持つ若者が多いのは、今の時代に足りないものを生み出したいから。高度成長期の若者はお金やモノを生み出すため、家電や車を作る会社に入った。この人たちが豊かさを築いている間に足りなくなった部分に、今度は今の若者が光を当てていると考えれば、若者の振る舞いとして自然ではないか。
最近では、社会的企業に興味を持つ若者が多いと聞く。それは、日本が豊かになり次の段階にシフトしていることを意味するのかもしれない。
社会的起業に限らず、私たちは潜在意識の中で、自分が見つけた「時代に足りないもの」を見つけては、それを解消することに意義を見いだしているのだ。
おそらくそれは、価値観の違いや、何を源泉にして仕事をするのかという考え方の違いを生むだろう。
これは仕事だけに限らない。「シェア」というキーワードが注目されるのも、「モノが溢れていて、息苦しいぐらいだ」という環境で育った若者からしてみれば、極めてあたりまえのことだと思える。
モノが無かった時代からすれば「贅沢な話だ」と思うかもしれないが、「モノが増えすぎてしまった」という新しい問題提起によって、世の中はバランスが保っていくのだろうということに気づく。
ソーシャルメディアが求められるのも、ITによって希薄化してしまう人間関係を補おうとする力が働いているからなのかもしれない。
こうした視点で世の中を見ることで、様々なことをいままでと違う視点でみることができる。異なる世代でわかり合えない価値観があることにも随分納得がいく。
この視点は新しいサービスを考えるうえでも大切ではないだろうか。いま考えているアイデアは「何を補えるのか」という問い。それを追求することで、サービスに足りなかったものや、より深いコンセプトを見つける手助けとなるだろう。
恐らく未来を思い描く上でも、これは大切な視点となる。
あなたの時代に足りなかいものは何ですか?それはあなたの強い動機になっているかも知れません。
Photo : Elisabeth Photography on flickr