[コラム] お金と向き合うときに大事なことが何かを考えた

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少し前の話になるが、6月6日の「ほぼ日刊イトイ新聞」と「日経ビジネスオンライン」の合同企画で、日経ホールで行われた矢沢永吉×糸井重里対談「お金のことを、あえて。」を視聴してお金のことを考えるきっかけがあった。
この企画は矢沢永吉と糸井重里という“結果的に”社長になった2人が自らを素人社長と位置付け、お金のことに関して対談したもの。
冒頭で、矢沢氏がデビューした頃のインタビューで「どうして歌手になろうと思ったの?」と聞かれて「お金がもうかると聞きましたから」と発言してインタビュアーに怪訝な表情をされてたので、「音楽も好きですけどね。」と付け足したエピソードを披露した。
この尖った発言で矢沢永吉を好きになる人、嫌いになる人が真っ二つに分かれたそうだ。
当時の矢沢氏は貧乏で飯もろくに食えない状況だったという。お金が必要というというのは嘘偽りない事実だったのだろう。彼にとっては「生きていくために音楽をやる」「遊びでやるんじゃないビジネスとしてやるんだ」という意思表示だったのかもしれない。
夢物語ではなく超現実的に物事を見ていた矢沢氏だからこそ発せられた言葉だったのかもしれない。
日本人はお金のことをストレートに語ることを嫌がる。
これはきっと、価値観の問題になるだろう。物事の判断基準がお金であることを嫌う文化があるのかもしれない。
いや、あったというべきなのか。

フリーになってお金と向き合う

私は今年の3月にフリーになって、いままで会社から毎月定額の給料が支払われていた状態から、働いた分だけお金が入ってくるように変化した。
当然ながら仕事をしなければお金は入ってこないし、ただ同然や安い金額で仕事を請け負えば、その分時間的余裕がなくなっていく。
つまり計画が必要になる。やりたい仕事だとしてもお金にならないものばかりやっていては生活さえままならなくなる。
お金にならないことをやるためには、他の手段でお金になる仕事を作る必要がある。
世の中お金じゃないといっても、結局のところお金がなければお金にならないことができなくなるということにもなる。

でも見失ってはいけないもの

先日のWorldShiftの野中ともよ氏と田坂広志氏の対談でこのような話があった。

ユダヤ人の床屋の話です。ドイツの子供たちが、床屋に来ては石を投げてガラスを割る。困った床屋が知恵を絞った。ガラスを割って逃げようとする子供たちに、「よくやった」と言ってお金をあげた。ガラスを割ってお金をもらえるんだから、子供たちはまたガラスを割る。何か繰り返した後に床屋の主人はピタッとお金をやるのをやめた。すると子供たちは、お金がもらえないなら面白くないというのでガラスを割らなくなったというのです。モチベーションのスイッチングが起こったんです。

最初はお金の為にやっていたことではないにも関わらず、いつのまにお金の為にやっていたという
このスイッチ現象はすべての行動で起こりえることだと考えられる。

はじめは「誰かの幸せのため」にやっていたはずのことが、その行動に対して金銭的価値がついた場合に、いつの間にか「お金のため」に働くようになってしまうという現象。

最初は自分が楽しくてやっていたこと、好きだからやっていたこと、高い志を持って始めたことが、金銭的価値がつくにつれ、お金のためにやるようになってしまうスイッチ現象が起こるという話。少なからず私には心当たりがある。
お金というのは大抵の物事に対して明確に値付けができてしまう便利な側面があると同時に、自分にとって価値あるものでも安く見積もってしまう恐れのあるものでもある。
ここで重要なのはいつ間にか本来の目的を見失ってしまうということである。そもそも何のためにはじめたのか。そもそも何のためにやっているのか。
その目的のためであれば金銭的価値が必要にならないことだってある。

大切なのは目的をお金を得ることにしないこと

つまりお金が最初に来てしまうと大切なことを見失ってしまうことになりかねない。
お金持ちになったことがない私が言っても説得力はないが、「お金の多さ」=「高い幸福度」というのは必ずしも正解ではないと私は思う。では幸せとはどういうことか。
重要なのは自分が何を大切にするかだということで、それを優先できているかできてないかが幸せをわけるのではないだろうか。
その大切なものを築くため、大切なことを成し遂げるために、お金が必要。ということではないだろうか。
もちろん好きでもない仕事をお金のためにやっている人はたくさんいるだろう。確かに、 誰もが自分の思うような仕事をして生活できるほどの世の中ではないのかもしれない。
でも、私がフリーになって実感することは、自分が大事と思うことを大切にしつつ、自分が成したいことを実現するためにはどのような働き方をすれば一番良いのかを深く考えるようになった。つまり理想を描くだけではなく現実的なところでビジネスを作り出しながら、自分がやりたいことを継続できる環境を模索するようになった。
以前はそれなりの給料をもらっていたので生活水準は下がったが、暮らしていくお金があれば幸せだと実感する。
何の為にお金が必要なのかを考えてみることはすごく大事なことだと思う。
きっと判断基準の中で、お金が優先順位の一番上に来た時になにかがおかしくなるのだと思う。

お金がないと行動を制約されることは事実

最後に付け加えておきたい。
お金があれば何でもできるという論調に賛成するつもりはないが、お金がないと行動が制約されるのは事実だと思う。
例えば、いざ自分がやりたいと思ったこと、やりたいと思ったことがあったとしてもお金が無いためにできなかったり、お金のためにいまの仕事をやめれないからできない、ということはやっぱりあると思う。
「お金の為じゃないんだからいいんですよ」
と自身の労を安売りばかりしてしまうのも自分自身の余裕がくなくなり、いざという時に動けなくなることだってある。
お金は必要なものだし、自分の行動をお金という明確な現在の価値にすることで責任を伴うことでもある。
もらうべき時にもらうことは大事なことである。同時に自分が成したいことがあるならば、それを実現する為にお金になることを考えることも重要だ。
自分にとって一番大切なものを常に意識することが大切で、それさえ見失わなければお金とうまくつきあえるのではないだろうか。
お金が大事なのではなく、そのお金で何をするかが大事だと私は思う。

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Author
Web制作会社にデザイナー、ディレクターとして従事後、フリーを経て、現在は株式会社プレイドに所属。